型にはまった時間

瞑想とかアロマ・インセンスとか、色々工夫して気力を回復。


今日の取材は、話題の密度が濃かったのと、
ちょっと気の効いた演出があったので、
心の中で「やったぁ〜」と大喜びしていました。


それはおいといて。


説明を聞きながら、今年1年、函館の歴史を勉強する機会をなるべくつくろう、
と思い立った次第です。
生粋の函館人には到底かないませんから……。
定番ものは一応大まかには理解できているようにして、
将来的には、自分なりに切り口を決めて語れるようになりたいです。
思い立つのがちょっと遅かったかも知れません。


ところで……。


これからの函館観光をどうすれば活性化できるのか、というお題。


逆に考えると、
何故、函館観光は活性化しないのか。


昨年、自分が比較的、第三者的に関わったプロジェクトの感触が、私なりに1つの大きな転機となりました。


あまり言うと悪口になってしまいますが、
・まちづくり(まちおこし)の手法で、観光について考えている
・まちづくり(まちおこし)の手法が、それ自体で目的化している
という点が、色々考える割には、物事が良くなっていかない原因の1つだと思います。


確かに、まちづくりの手法では、一般の人、素人をまきこんで議論するのですが、それとも違う意味で、今までと違うカタチでとりとめもなく、このことについて考えてみたいという気がしています。


ある種の無責任な、雑談のような会話ができると良いのですが。
なかなかできそうでできないものです。
できると思っていても、実際にはできないです。
例えば喫茶店とか、バーとかで会話していても、意外と型にはまった会話しかできません。
酔っぱらって会話するのも、これはこれである種の美学があって、やっぱり型にはまってしまいます。


1つのイベントに最初から最後までいようとすると、
何もない時間帯というのがあって、そういう時に、本当にどうでもいいような会話をだらだらとしたりして、意外と、お互いの距離が縮まったりします。
去年の東日本フェリーのイベントがなかったら、バーテンダーさんと親しくなることもなかったような気がします。


まちづくりの手法は、
「はい、それじゃ私の時計で2時20分まで皆さん議論してください」
みたいなのが主流ですが、それだと多分、議論が深まらないどころか、お互いの距離が縮まることもないかも知れません。
それでいて、ある種の充足感があるので、余計に紛らわしいです。


そうは言っても、稀な幸運に期待している場合ではないので、
では、現状を受け入れた状態で、どこまで工夫できる余地があるのか、ということを考えています。