夏の終わり

1つのバラッド…バラッドのようなものを書き終えたところ。
キセツによって風向きは異なるらしく、8月は下海岸沿いのサイクリングが面白い。行きは向かい風で練習になるし、帰りは追い風というほどには感じないが快適に戻ってこれる。ローソンでアイスアールグレイ。ここに実は裏道があり、抜けていくと、グルメシティへの近道があるということを知った。往復で50km程度なので、物足りないというべきなのだが、結構な運動量をこなした気分。
グルメシティのカフェにはマンダリンとモカがある。マンダリン飲んだり、モカ飲んだりするのが好き。文庫本を読んだ。
夜、久しぶりにbar jeysに足を運んだところ、2階が団体客で賑わっている。ひっきりなしにフードやカクテルを運んでいる。カウンター席の方まで、あふれ出した団体組が下りてきて騒がしい。私はラフロイグジンジャーエール割りを頼んだ。何か聞かれるかと思ったが、甘口のジンジャーエールで割ったものが出てきて、これがスッと喉に入ってくるので危うく一口で飲みきってしまいそうになった。面倒くさいカクテルは頼めそうもない雰囲気だったので、同じものを2杯飲んだ。
ウイスキーはロックかストレートじゃなくちゃ、などとこだわるつもりはなくて。よほど味わって飲みたい日以外は飲みやすさが優先だ。ワインなんかも、コノスルを飲むようになったので、セイコマの500円ワイン(ラベルがかわいいのでファーブルを買っている)は、シュウェップ(炭酸)で割って氷も入れてサクサク飲んでいる。飲みやすくてスッキリするので暑い日のオススメ。その後、コノスルをじわじわ飲みながら女子バレー観戦したり。
コノスルを見つけたのは、ノイフランクというソーセージのお店。ずっと気になっていたが、帰り道、初めて立ち寄り、ソーセージやベーコンを買った。有名人が買いにきていたので、「こんにちは」と挨拶したが、ぴくりとも視線を動かさなくて、ステージの違いを感じさせる。有名人が立ち去った後、店主が苦笑いしてくれて、チッポケな存在である私もいくらか救われた気がした。別にそんなことがなくても、好都合なことにワインも何本か置いてあり、その中に自転車マークのコノスルがあったので。みのやや、越前屋まで行かなくても自分の飲みたいワインが手に入るとはラッキーと喜ぶ。時間のある週末は立ち寄ってワインとソーセージを買いたい。レバーペーストがいいらしい。
「折れた竜骨」を読んだ。魔法とか普通に使われててそれでもミステリなのだからすごい。もともとハイファンタジー設定だったとか。それにしても、米澤穂信は「姑息な人・人達」を描くのが上手い。私は英雄側の人間になれそうにないが、かといって、そっち側の人間になってしまえば、米澤穂信の言葉が刺さってくる。それは避けたい。この作品では、刺す言葉は敢えては要らないと判断しているのか、表現は穏やかだ。アイドルの応援していて、小説はラノベも読まなくて良かったが、読み出すと書きたくなるので、SNSから離れて、文章らしきものを書く方向へシフトしたくなってきた(のがコレ)。それにしても、いつの頃からか、射手というのは放てば刺さるように描くものらしい。映画「指輪物語」あたりからの影響か、それもまた何かのアニメの影響なのか。
一ヶ月くらいのスパンの出来事を時系列無視してフラグメンツ(適当)に書き連ねていくと、ほどよく近況報告にもなるし、直接会って話した時の分も残しておけると思う。もっと言えば事実を事実通りに書いたらマズイ場合は多少のフィクション処理もする。姑息な作戦であるが、成熟させたら面白そう。隣接する可能性は世界線を併走しているかも知れない。退屈な日は、隣の世界線エナジーを捧げた日なのだと思いたい。しかしこの現実も、もっとドラマチックな展開を選んだ方がいいと思う。物語性に飢えていなくて、やはり穏便な人間関係の保持が優先されるのであれば、仕方ないが、占星術的には常に均衡が望ましいというわけではない。
ペルソナ法というのがあり、誰に読んでもらいたいかを決める。ただ1人のことをイメージして文章を書くというセオリー。では誰のためにこの日記を書くかというと秘密である。空想上の誰かかも知れないし、返事をくれないアイドル宛の一方的なダイレクトメールを毎日書いている気分かも知れない。その、空想の、架空の、人物の読解力にあわせて書いている。
たとえば、昔は辛口だったように思ったけど、今は甘口もありなのかなって思うと、この事実を皆に言いふらしたい気持ちでいっぱいだ。これについても詳しくはネット上では秘密である。やはり、笑顔が一番貴方に似合うから……ってあまり書くと歌詞の引用で違法となる。これについても詳しくはネット上では秘密である。一週間くらいして、自分でこの文章読み返してみたら何のことだったのか忘れたくらいにしてね。
女の子へのダイレクトメールで「僕は本当のことを知り得ないから、ワトソン君みたいに下手くそな推理を披露しよう」というシリーズを何度か書いた。とあるダークサイド氏のツイートで「ワトソン君、女の子に好かれる方法を教えてやろう」みたいなことを言っていたのは、そのことを指している。それはダークサイドというより、単に道義的にやっちゃいけないタイプのイヤミであろうな。女の子が私のダイレクトメールをちゃんと読んでいて、しかも向こう側でかなりの好評だったことが読み取れたので、それについては有り難く思っている。故に、イヤミの1つや2つ言ってくれても良い。
ここ数年、夏のお気に入りは「夏恋花火」で、聴きながら東京へ。本当はもっとロマンチックなことのために東京へ行きたかったのであるが、そんな気持ちを見透かすわけでもないのに我が尊敬する遠征女子がある日、「そんなのより私だったらSSAに行きたいな。電車で2駅だったら行ったのに」などと突然予想もしない角度から不意打ちを入れてきたので、同じ日にアニサマやってることをその時知った。ヲタクの会話だなあ。
ヲタクの会話というのは、純粋に話題に対して食いついてくるもので、「あの人が言うなら納得」「この人が言うのはおかしい」みたいな属人的な一般人の会話とは違う。純粋に発言内容についての不備を指摘すると、今度は人格攻撃で返ってくるのが一般人の会話。
アイドルに関わるオジサン達が突然目覚めてヲタクっぽく語り出すが、結局ヲタクにはなれそうもないね、って思っているのはそういう経緯。ベースとなる哲学が違うので、私は内容の不備を指摘しているだけなのに、オレのことを恨んでるのか憎んでるのかと逆にキレられてしまう。これはハイファンタジー的には、種族の違いとして解釈される。
種族の違いと言えば、言われて思えば、アニサマにも行きたかった。むしろ、アニサマに行きたかった。アニサマに行くべき種族だったはずなのに、アイドルの方を見にいってしまった。久しぶりにヲタクな会話をして、本当はすがすがしい気持ちになりたいのに、終始、打ちのめされてしまい、遠征女子との間に実力の差を思い知る。いやいや、元々埼玉民なので学生の頃は遠征しなくても関東のイベントに行けた。國府田マリ子さんのコンサートで大阪・名古屋に行ったことはあるけど、基本的に遠征はしないで済んだ。遠征初心者かも知れないけど、行ったら行ったで収穫はあったよ。
何度思ったことか、料理に関して本当はもっと興味がある。鶏肉をコンソメゼラチンで包んだようなのを買ってきて、きっとこれに何かを乗せたりして味付けて食べるんだろうなと思いながらも。ボキャブラリが全然なく、イメージもわかない。ピラフくらいは自分で作りたい。チャーハンよりは酒のつまみっぽく、酒と一緒にじわじわ食べられる。チャーハンとかオムライスとか出てくると、ガチ食いになってしまうので、〆の食い物になってしまう。鶏肉のコンソメゼラチンは味付けがシンプルで、結局そのままちぎって食べててもあまり美味しくはない。
それにしても、人生後半に突入している。独身生活は満喫してるので、後半のテーマは結婚とかかな。結婚できるのかどうか難しい。何かと色々あって婚期が遅れてる。
今まで何故、彼女ができなかったかというのを悩んだりもしたけど、結局、理由は簡単で「アウェイだから」の一言に尽きるようだった。これはもうシヴィラシステムに問うまでもなく明らかだ。自分の得意分野・住み慣れた場所で会話してると、精神的に相当な余裕があるのだ。最近それを満喫する機会があり「あー何て楽なんだ」と思い、やっぱり自分の得意分野で勝負すべきだったんだなあとしみじみ。
ごく稀に自分優勢の会話の展開をした時とか、「ほら!言ったとおりになったろ!」って、その会話のかけあいを好きな女の子に見せたいと思ったりもするけど、マニアックすぎて、お見せすることはまずできないし、普通に見ても意味不明だし、何がどうなってこうなったかを説明するだけでも大変なので、文章量は膨大となる。まるでそれじゃ、それ自体が嫌がらせみたいなものじゃないか。
きじひき高原はまるで雨雲の中にいるみたいだった。12時45分の新幹線を盛り上げるグループのステージを見るまで1人で待っていた。雨の中、綺麗な女の人が寄ってきて、「私のことわかります? 私はわかります」と言ってきたので困ったどうしよう…と思ったけど、コンビニの昼シフトの店員さんだった。「こども達が桜組好きで…7月の祭りの時もノリノリではしゃいで…1人減っちゃったけど…」などと雑談。「今日は桜組はこないみたいだよ」って伝えたら「そっかあ、雨降ってるし、早めに帰ろうかな」としょんぼり。
桜組showroomを始めてから1年が経つね。ある年の2月〜3月のニコ生リスナーのレベルの低さと暴言の数々(JK配信がどうこうとタイトルで釣って人数だけ増やしたのが原因だけど)に比べたら、showroomリスナーの一見お行儀の良い、スラングのない日本語で書かれたコメントの数々は理想郷のように思われた。心癒された。それが11月下旬頃には「お笑い芸人らしくなってきたけど、まだまだアイドルを捨て切れてねーな」などと、自分達の求めるイメージに合わせろと要求するようになってくるから、怖い。それでも、その路線で行くと決めたらしい。
夏休み中、シュタインズゲートサイコパスを借りてきて、終盤は一気に見た。ちょっと非公開でつくってた物語に専念したかったので、影響力強そうなアニメをあまり見ないようにしてたのもあるかな。結局、数年がかりの物語になってしまい。葉鍵系にはまっていた年月と比べるとまだ短いけど、それでもそれなりの期間を過ごした。ラブコメ要素と、ときどきミステリと、サイコ・パンクみたいなのも混ざり、複雑なメタ構造と、意味の多層性に満ちあふれていて、物事の進行の発展期と成熟期とをいつまでも同時に併存させたような、ある意味、斬新性満載の物語。世には出ない。
横アリのピーチステージは、思い出になった。桜組の追っかけで、大宮行ったり、芸術の森行ったり、仙台行ったり、横アリ行ったり、色々なことがあったような気がする。これはもう、学生時代のヲタ活に匹敵するくらいの思い出になったと思う。ちなみに消去法的に言って、桜組についてファンの側から見た思い出を一番沢山持っているのは私なんだろうなって思う。しかし、結成以前から知るカメコ(札幌のナントカ五人衆の1人だかなんだか)、1年目の桜組を全現場制覇した自称代表ヲタのパパ、ちょっと騒ぐと全身筋肉痛になってしまう最高幹部、そして意識高い系でおなじみ最強にして最高のダークサイドなど、さまざまな称号を持ったオジサン達に認めてもらえるレベルには到達できなかったようだ。夜の東京駅は色々な時間軸を複合した感じで、眺めていると軽く目眩がした。
シュタインズゲートはゲーム由来だったけど、アニメとしての構成はしっかりしていて、アニメだけでも楽しめた。後半は複数シナリオの恋愛フラグが総まとめ的になっていて怒濤の恋愛攻撃みたいになっていた。「繰り返し救われない女の子」っていう設定には、今更特に心躍らないけれど、そこにあまり力点はおいてなさそうで、作品の評価に影響はない。自分の好きな系統なだけに、全然自分の知らない世界を見せつけられた浦島感は少なくてちょっと安心。さすがに年齢も年齢だし、SS読みあさったり、自分で書いてみようとまでは思わない。
これから中二病的な重たい話は少なくなり、普通に恋愛して普通に適度に障害を乗り越えて、普通に幸せになるような物語がサブカル界隈でも増えてくるのかな。もはや、サブカル好きなので彼女をつくらないできた、などと言い訳できないね。