少し、楽しいノリを意識したブログを書いてみることにしようかな?(問いかけるように書くのがポイント)

楽しいノリを追いかけていると、仕事に集中できなくなるので、あまりそうならないように適度に抑え気味にしないといけない。そこが弱点で、ここ数年、楽しいブログは書いた記憶がない。

がしかし、時々「楽しいノリって、どんなノリだっけ?」を思い出すようにしないと、どんどん気持ちが沈んでしまう。

どのくらい沈むかというと、

函館開港150周年を記念する150カクテルの上に振りかかっているココアパウダーが完全に珈琲と一体化して、全体的にセピア色になってしまうくらい。

もはやそうなってしまうと、150だかなんだかわからない。

そうなる前に飲むのが良い。

ところで私は「らんま1/2」が好きだった。

なのでポニーキャニオンには悪い印象がない。むしろ良い印象だ。

そのせいか、八戸市の「美人すぎる市議 藤川優里」についても、悪い印象がない。むしろ良い印象だ。

市議会の答弁の記録も読んでみた。

「港町函館のライバルは八戸である」

冷凍倉庫の偉い人もそのようにおっしゃっていたっけ。

答弁を読むと、旅客船の誘致や、耐震強化岸壁の整備など、いかにも港町らしい議論をしている。答弁を読んでいるだけで、だいたいの大枠がわかるのだから、なかなかロジカルだと思う。

この辺で仕事に戻る。

でまた戻ってきた。

ていうか、仕事って何だろうね。仕事とは何か、というところが今、改めて問われているような気がする。それが昔は、色々なイデオロギーの対立として説明できたし、お互いにそのことを了解して対立してきた。

今は、自分が依拠している思想の本質に迫りきらないで、各自のアドリブで議論しているから、本質的に何と何とが対立しているのか、の構造が見えにくい。

構造が見えないまま、力学的に処理されていく。

ただ先日、取材先の料理人さんと、だらだらと雑談していた時、私は自分の中での、仕事と、勤務時間外の仕事と、勤務時間外の仕事じゃないけどプライベートじゃないことと、NPO活動と、趣味の活動と、といったことを上手く整理できなくて苦労していた。

「わかった。要するにそれが君のライフワークなんだね。
 おかしいと思ったんだ。
 仕事でそんな風にはしないよね。
 ライフワークなら、わかるよ」

どうも相手の方は腑に落ちたらしい。

ただ「これは私のライフワークです」と言ってしまうと、それはそれでまた別の問題が発生する。私のライフワークには、どうもいまいち、ロマンチックな要素が含まれていないように思われるからだ。

いかにライフワークといえども、1人でフランス料理を食べるのは寂しい。
否、寂しいというより、それは人として不出来である。

まあ、そこはライフワークなだけに、自分が担当しなくても、誰か得意な人がフランス料理の取材をすればよいか……。

かくして問題構造は潜在化していく。

ちなみに、フランス料理とは関係ないけど、今日、しりうちの道の駅の2階で食べた「カキフライ定食」は、とても美味しかった。最近流行りの言葉でいうと、二重丸(どこで流行っているのかがわからないので、本当は流行っていないかも知れない)。

しりうちの道の駅の2階に昔レストランがあったんだけど、それがなくなって、今またできたというわけ。だから、途中の経緯の記憶がないと、周回遅れで、何事もなかったかのような錯覚に陥るかも知れないね。

まあ、いいか。

それじゃ、とりとめもなく、落ちます(チャット風)。