2月に木古内のみそぎまつりがあった時に、私はツアー客の見学席に混ざり込んだので、良い写真は撮れなかったのだが、何となく、この日は某新聞社の某カメラマンがきているような気がしていた。何か気配を感じたのだ。

その日は管轄の記者が道南版の記事を書いていたが、やはりそのカメラマンがきていたらしく、その写真は全道版の記事になっていた。素晴らしい写真だったと思う。

先日もそのカメラマンとニアミスしたが、やはり、何かオーラを感じる。オーラというとわかりにくいが、漫画「頭文字D」を見るとちょっとわかる。あんな感じ。

頭文字D」はプロの世界の漫画ではないから、あんな感じというと、プロのカメラマンに失礼かも知れない。

ところが最近、アマチュアの立場からも、プロのクォリティに立ち向かおうという強い意思を感じて、私は今そっちの方に、少し感化されつつある。

マチュアというと、お互いにリスペクトしあう関係なのかなと思っていたのだけれど、どうもそればかりではないようだ。

勿論、写真が良いとか悪いとか、感想をもらえたら嬉しいに決まっているのだけれど、お互い言葉を交わさずとも、作品同士が語り合うというか、暗黙のうちに競い合ったり、認め合ったり、技を盗んだり、情報だけいただいたり、そんなことが成り立つソフィスティケートな世界なのだ。……と感じた。

結果、プロだから、アマだから、というあたりがよく分からなくなってきた。

ま、いっか。恋愛の話をしよう。

村上龍とか、そこら辺のエッセイの真似で、話をそらしているわけではない。

放っておくとモチベーションが下がるので、定期的に恋愛スイッチをONにしたい。

寒い日にデジカメのバッテリーがすぐにへたれるので、時々手で暖めながら、だましだまし写真を撮るのとちょっと似ている。

また話がそれるので、ONします。失礼します。

はたして、時は小学校6年生の頃にまでさかのぼる。

恋の話で盛り上がった記憶というと、どうしてもそこまでさかのぼらないといけないのだ。

誰が仕掛けたのか、クラス中の男子と女子が「誰がどの子を好きなのか」を公然と情報共有しはじめた。

今にして思えば、大抵の男子女子が、同じクラスの中で恋をしていた平和な時代だった。

毎日のように、授業が終わって一回家に帰っても、塾とかのない人は、必ずまた学校に戻ってきて、日が暮れるまでサッカーをしたり、どろけいをしたりして遊んでいたし、仲が良かったのだと思う。

昼休み、また、適当に誰が誰を好きで、という話が始まって、適当に聞いていた。

私にとって恋愛は、あまり乗り気になるような話題ではなかったのだけれど、ついつい同じ話題を共有したくて、私は、月子さん(仮称)に話しかけた。

【すずめ】「そうだ。健介(仮)はどの子が好きなんだろうね」

健介(仮)というのは、私の友人で、残念ながら「誰が誰を好きかブーム」の中で、いまいち話題にあがらない人物だった。ただ、とりあえず、当たり障りないという理由で、その辺から話を切り出した。

今にして思えば、私が月子さんと対面で会話するなんて、奇跡に近い瞬間だった。

月子さんは言った。

【月子】「私、健介君のこと、嫌いよ」

月子さんが、いきなり核心的なことを言うのは、よくあることなのだ。

【すずめ】「え、なんで?」
【月子】「だって、健介君って、女の子だったら誰でもいいようなところ、あるんだもの」
【すずめ】「(-.-;;;」

言われるまで気づかなかったが、健介君(仮)は、多分、そういう風に見られているところがあると思う。

がしかし、そこまでの理由を持ち出してきて嫌うような相手でもないような気がした。

その時、私は意味がわからないなりに、かなりドキドキした。
意味はわかるのだけれど、意味がわからないのと同じだった。

また何か、深いところを突かれたような気がしたし、ある種の反動で「自分が誰かを好きになったら、その瞬間から、他の女の子のことはあまり考えないようにしよう」という風に思うようになった。

でも何か、「この人は、何か、自分の知らない技術を持っているんじゃないか?」ということは思ったので、心の中でメモしておいて、将来この言葉の意味を反芻してみようと思っていた。

まあ、要するに術中にはまっていた。

女性は精神年齢が比較的高いといっても、月子さんは高すぎたのではないか。

一般の女性がそういう言い回しを普通に使うようになる頃には、私はそういう会話の対象ではなくなっていた。

話は戻って。

結局、私は、その後、月子さんに恋をした。

正確にいうと、恋をしたような錯覚に陥ったのだと思う。

でも本当はそれは恋ではなくて、恋とは別の貴重な体験だったとは思うんだけど、恋愛というより、言うなれば、謎萌えみたいなもので……。

今なお、月子さん発言集には謎が多い。

もともとの恋愛感情は、やっぱり、花子ちゃんとか、鳥子ちゃんとか、風子ちゃんとか、に対する感情の方が、幼いながらも、恋愛感情だったと思う。

そういう風に思っていれば、もっと沢山恋をしていたと思う。
悔やんでも悔やみきれないかと思えば、そーでもないかなぁ〜。

恋レスネスもなかなか楽しい人生だったと思う。

さて。

昔、ネット上の仲間内で恋愛話が盛り上がったときに、私の番になって、このことを話せば良かったのに、この話はできなくて、うやむやにしてしまったことが悔やまれる。

今更書いても意味がないんだけど、こっそり書いてみた(罪滅ぼし終了)。

読んでくださって、ありがとうございます(スピリチュアルブログ風)。

すずめかしこ。