海炭市叙景の話にちっとも収束しない脱線話
非凡な会話がしたいという誘惑は、誰しも持っていると思う。
あえて言うなら、
非凡な体験、そしてなおかつ特筆に値するもの――。
例えば、
すずめ「スズメのエピソード話していい?」
珈琲女子「それ、長いの? 長くなるの?」
すずめ「手短に話すよ」
赤信号で止まっていたら、
スズメが小さな木の実を加えて、私の車の前輪の前においた。
ところが青信号になる前に、風がふいて転がってしまう。
スズメはもう一回木の実を置き直そうとするんだけど、
風が吹いているから上手くいかなくて、結局、ジタバタしながら
飛び去っていった。
これ実話な(-.-;;;
スズメは他の鳥がやっていることを自分でも身につけようとする。
でも失敗。
なかなか見ることのできない目撃談なのだ。
富岡の喫茶店で、結構長年つとめている女子店員さんに、
そんなような話をした。
こういうのは非凡な会話と言わない。
平凡な体験でも、組み合わせの妙により非凡な会話風にすることはできる。
ただ願わくば、非凡な体験と、それを表現できる非凡な言語感覚が欲しい。
◇
肝心の佐藤泰志作品集はいつの間にか売れてしまったのか、
もうお店には置いていない。
時々、読み直したかったので、ちょっと残念。。。
『海炭市叙景』は市民の応援によって作られている映画。
私は普段映画はあまり見ないんだけど、
このタイミングで、カンパ金を3,000円投じることにした。
こんな風にして、自分の善行をブログで宣言するのが小市民的で現代風。
ちなみに、前にも書いた記憶があるんだけど、
『海炭市叙景』の個性は、ある種の徹底した平凡さにある。
せっかく、架空都市「海炭市」と命名して物語を書いているのに、
だいたいのところ、
実際に函館にある、あっただろう出来事と何ら変わらない。
しかも、これといって気取った、粋な会話とかもない。
ただ単純に現実にあった出来事をそのまま書いたわけではない。
現実世界の学園祭にだって、細身でかわいいメイド服の女の子はいる。
古き良き海炭市にも、まばゆきものは沢山あったであろう。
けれど、
佐藤泰志の目線で見た時、そこは華麗にスルーが正着。
あるがままの日常からさらに徹底して削ぎ落とした平凡さがそこには、――ある。
到底、私には真似できそうにない。
◇
一方、別な意味で真似できそうにないのが、村上春樹だ。
特殊信仰を持った女の子が登場したり、
美しく活動的で異彩を放つ女の子が登場したりする。
それだけだと、電撃文庫とかにもありそうだけど。
ラノベとの違いは、ときどき脈絡もなく、
おっぱいが小さくても気にしないこととか、
おちんちんの大きさ、硬さの好みについて、さらっと論じたりする点。
村上春樹にしか許されない、ある種の特権のような?
例えば現実にバーとかで飲んでいて、
変に気取って格好つけて飲むのも飽きてくると、
いよいよこういう会話の境地になるのだろう、と思われる……。
私の場合、そこまで飲む前につぶれてしまい、タクシーに乗ってしまい、
家についてしまい、寝てしまうだろう。
私のことはどうでもよく、何にせよ、こちらは徹底した非凡さがウリ。
どうも近々、1Q84にはまだ続刊がでるという噂があり、
私も読むことになった。
記憶では2巻の途中まで読んでいたはずだったんだけど、
実はまだ1巻を読み終えたところで止まっている。
何かちょっと、
本当に村上春樹本人が書いているの?
みたいなところがあるんだけど、そこは気にしないことにしよう。
早速、本屋で2巻を買ってきたので、のんびり読む予定。
今日のブログ、長くてすみません。