事業仕分けの様子
テレビでちょっとだけ「事業仕分け」の様子を見た。
本来の趣旨(本質的に無駄な事業を削る)はさておき、
ある種の格好良さ、爽快・痛快さを演出したい意図の方が強く見て取れる。
その演出意図を指して、
エンターテイメント、パフォーマンス、あるいは劇場型などとも言われる。
食事しながら見ていたので、うろ覚えなのだけれど、
事業仕分けの主催者サイドからのコメントで、
「官僚組織に対するある種のカルチャーショックを与えることができれば、
それだけでも意義があると言えるのではないか」
といったようなコメントがあった。
ふーむ……。
個人的な印象としては、
こういうのが「格好いい(爽快・痛快)」と思って企画したものの、
実際にやってみたら、
そうとは見えず、後味の悪さばかりが残るものになった、ようにも思える。
爽快痛快な部分だけを切り取って放送しているように見えるだけに。
なおさら着想の至らない部分も一緒になって際だって見える。
とはいえ、振り上げた拳をおろすこともできず、
当初の企画通りに、後味の悪いことを最後までやり遂げるしかないのだろう。
いずれにせよ、
メディアと連動した政治の進め方は、ある種の心理戦でもあり、
高度な読みが必要になってくるかも知れない。
たとえば、こうした様子を見て、
「確かに、■□□□□■□□□□だが、■□□□□■□□□□な点は、
■□□□□■□□□□と言って良いのではないか」
云々という感想を持ったとして、
その感想はどういう水準でも良いが……。
まさしくそういう風に思わせることで、術中にはめているかも知れない。
かくして、心理戦的な小説を読む時と同様、
そのやり方を批判する人は多いだろうし、
いやいや、深い意図があるはずだとか、想いは汲んでやるべきだとか、
あるいは、悪意をもって解釈する人の方がおかしいとか、
冷静にしばらく様子を見守るべきだとか、
そういったことが、色々と出てくるような感じはする。
いずれにせよ、そういったものは、1個の意見として自律していない。
ただの感想・コメントに過ぎないものだ。
そんな風に、一番良くない影響としては、
こういうのを見せられることで、
自分の気持ちが「受け身」になってしまうことだろう。