ハードルが高くなりすぎたら

君の名は。」のラストについて、決定的な進歩と捉えるか、既存の延長線上に捉えるか、そんなようなことも議論になったりもしているらしい。実際には何もないのに、可能性だけが充満している現実世界、というのが作品として1つの理想形なのかも知れないと思っていた。けれど、「君の名は。」が成功しているかどうかは別として、このジャンルの作品群は、ハッピーエンドを目指していくのではないかなあというのを感じた。

というのは、ご都合主義を排除した上で登場人物がベストを尽くしたらトゥルーエンドになったというのはいいとしても、不自然なまでにハードル高すぎな設定てんこもりなのは、逆に神の力が働きすぎでしょ…と。

それはそれとして、最近、おなかの調子がよくなく、消化の良いものを食べた後でも、胃が苦しくてガスが充満しているような状態。それで、ペパーミントとスイートマジョラムのレシピをつくろうと蔦屋に行ったら、生活の木はマジョラムはあってもスパイスの方で、スイートではない。でも、効用は似たようなものらしい。
どっちかというと化粧品にしか興味なさそうな店員さんにカタログ取り出したりパッドで調べさせたりして、ああだこうだ言いながら、結局マジョラムを買った。カタログを見ると「スパイシーな香りがする」と書いてある。多分、大多数はスイートマジョラムを期待するだろうから、「スイートマジョラムではありません。」って素直に書いてほしい。
寝る前にマッサージしてから寝るようにしたら、むせかえるような胃の窮屈感がなくなってきたので、効果はあったみたい。

今週、仕事の会話をしていて、名言を聞いたので、メモしておいた。

「高いハードルの上を飛ぶより、下をくぐりたい」

居酒屋とかで飛び交う「一流の人のお言葉」集みたいなのって、実際にはあんまし役に立たないのだけれど、偶然飛び出してきた言葉というのは、大事にしたい派です。普通に歩いてくぐれるくらい、ハードルが高くなりすぎてしまったら、飛ぶよりくぐる方が自然なのだから、くぐってしまった方が良いと思う。

例えば…。私が界隈で影響力のある人物で(そうじゃないけど)…。ナントカフラペチーノとか男が飲むものじゃねえ。とか昨日まで叫んでいたのに、今日になったら、ナントカフラペチーノ大好き、あああああ好き!とか叫びかたを変更したりするかも知れないわけです。その時に、ブレた自分のことを言い訳したり、ずっとディスってたあの人この人に「今までごめんな」とかも言わないわけです。って考えると、「ボクは男だけどフラペチーノ好きだけど、世間がブーブー言うから、空気読んでやめとこう」とかしてると、突然、損してる自分になるわけです。

「明日からファイターズのくじがはじまるんだけどね」って突然ローソンの店員さんがよく通る声で話しかけてきた。その時、スマホで将棋指してたんだけど、時間切れで負けちゃうんだけど、「ファイターズのくじで、お嬢様聖水が景品になったから、発注かけたわ」ということらしい。毎日、お嬢様聖水飲み続けていて、「すずめ君の売り上げだけじゃ、次の発注は無理ね」と言ってバカにされていたのに、大量発注になってしまったのである。

「ふふっ。僕の時代がきた」
「ううん…ファイターズのくじってマニアックなのよ…」

すごく落ち込んだ声で言う。僕がドヤって感じになるのがそんなに悔しいのだろうか。

一時期、もみこに毎回、時空がどったらこったら書いていて、相変わらず意味わかんないしーって思われていたと思うけど、もし「君の名は。」見てたら、「この複雑な入り乱れる感覚は…言ってたのはこれのことか…」ってなったと思うけど、多分、そうなることが想像できるから見てない…。そして、どうせ見てないんでしょって僕が思うことを、もみこは予想していて、予想しているもみこを確率論的に、僕は想定している…。もしそれが、的外れでない空想だとすれば、それは正統なこのジャンルの楽しみ方だから……。

でも、このジャンルはもう不自然なまでにハードル高すぎて、だから「君の名は。」も、普通の人は、空が綺麗で不思議な世界観だーくらいに思っていて良くて、そういうマニアックな世界観の果てにあるものであることは特に重要ではないよ。