すずめ的桜組ヒストリー

人には色々なタイプがあって、物事に対する関わり方の深さもあるし、その時その時に熱いタイプや、思い出を熱く語れる人もいると思う。

私は函館にきて、仕事やNPO活動を通して、色々なまちづくり活動を見たり参加したりしていました。バル街が始まったり、十字街にまちづくりセンターが開設したり、それから、開港150周年関連は色々な意味で熱かったし、まちづくり活動の盛んな街という印象通りの展開を楽しんでいました。

その後、観光情報サイトのお仕事を別の会社に引き継いで、ある意味過酷なクエストから解放された私は、北斗夢学院桜組というご当地アイドルプロジェクトを応援することにしました。

北斗夢学院桜組の活動は、色々な分野にまたがるので、全体を把握できている人はほとんどいないと思われます。それはちょっともったいないことでもあるので、私なりに記憶を簡単に整理しておきますね。

何しろ、桜組のメンバーも、今は毎回でなくても、多分思い出したころにふらっと私のブログを見に来てくれる可能性があるので、トラウマになってたらこれ読んで的な意味で書いておこうかなと。

桜組の活動、世間からは微妙な言われ方すると思いますけど、すごく良かったと思いますよ。


桜組第1期(2011.5〜2012.2)
桜組は、2011年5月の陣屋まつりで結成を宣言しているので、そこからのスタートではないかと思います。
でも、まあ、第0期のことを言いたがる人って必ずいますよね。
桜組は函館のスクール生から選抜されたとのことで、スクールマニアの方はそれ以前から知っていたと主張しています。また、もえたん美少女図鑑に出ているので、函館のまちネタを追いかけている人はもえたんのことを早くから知っています。

あえて第0期のことを言うとすれば、函館の人気音楽イベントのSWINGMENに出演して、入賞もしていると聞いたので、SWINGMENで見てファンになった人がいれば、相当誇れる初期からのファンと言ってよいのではないかと。残念ながら、私は、その回の頃年度末で忙しくて、噂に聞いていたのに行けませんでした。
陣屋で結成して以降、AKBやピンクレディーの曲をカバーしながら、地元イベントや、たまに五稜郭タワーにきてライブ活動をしていましたね。
ちょうど、全国的にご当地アイドルが増えだした時期で、私は、愛媛のひめキュンフルーツ缶youtubeとか見つけて、これはブームになりそうだなーと思って、ネットの評判なんかも色々見ていました。
9月に札幌のjewelkissというグループがきて、五稜郭で合同ライブをしました。jewelkissは、細かくいうとご当地アイドルというより、地下アイドルというジャンルで、少人数のヲタクがMIXなどを用いて、圧倒的なパフォーマンスで応援するスタイルを極めようとしているさなかでした。

  • MIX

主に曲の前奏や間奏で、ヲタがタイガー!ファイヤー!などと叫びながら、自分の士気を鼓舞する儀礼的動作。90年代のネット文化で、波動erと称する、波動の高まりが極まった人々(笑)が活躍していたので、その流れがアイドル文化にも流入したのではと思われます。
ちなみに、私もイムルイル傭兵団という、波動erの集まりに加わっていたので、M;tGのコモンカード一式なんかも、普通にもらえたりして、色々なヲタ活にどんどんはまれて楽しかった時代です。
MIXは、もともと、自分の魂の思うがままにすればよい所作だったのが、実際のところは、AKBのMIXと俺たちのMIXは違う、こっちが本物、この曲で入れるMIXの入れ方はこう、みたいな、ヲタの成熟度合いを競うツールでもあり、また、とかく下心満載のアイドル現場において、ヲタ同士が心を1つにできる共通の旗を掲げたものではなかったかと思います。


全国的に見て、自治体公認のご当地アイドル、というスタイルは珍しくもなく、評価が低いわけでもなかったのですが、北海道では、そういう「地下アイドルスタイルこそが正義」の風潮が強くなってしまい、札幌スタイルに影響を強く受けた、初期からの地元ヲタも、桜組でMIXできるかどうかだけが話題となっていました。
そんな中、ネットで見てれば、ひめキュンフルーツ缶は、地元ファンと一緒にBBQしたりバスツアーしたり、活発に地域密着活動をファンと一緒にしていたので、早くそっち方向の活動に興味をもたないかなと思って見ていたのですが。

Jewelkissが来函した時、地元ファンがJewelkissのファンを名乗ってTシャツもJewelkissだったので、「桜組ってヲタいねーの?」みたいにつぶやかれ、そんな様子を見て、見てるだけじゃなくて、応援しようかなと思ったのが、私にとって1つのきっかけとなりました。


桜組第2期(2012.2〜2012.10)
Jewelkissはそんな感じで、Jewelkissの凄さを見せつけて去っていったため、特に桜組の活動に影響を与えなかったのですが、その後2月にまた札幌からWHY@DOLLがヲタを引き連れてきました。
WHY@DOLLのヲタが桜組の「北斗へGO!」にMIXを入れてくれたり、やや友好的な雰囲気が生まれ、実は函館に果実軍のこなん君という強いヲタがいたという事実も明らかになったりして、ようやく桜組を応援するスタイルができてきました。
年度の変わり目で運営体制が家族ボランティアから、民間の広告・デザイン会社に引き継がれました。そのため、勢いで突っ走る!という雰囲気から少しトーンダウンして、お仕事です、という雰囲気を出すようになり、若いヲタから不評の声があがりました。
当時のアイドル文化は、いかにヲタクが活躍するかが見所で、アイドルとヲタクがお互いに尊敬しあい高めあうのが理想とされていました。多少、ヨイショしてでもヲタクのことを大切にしないといけなかったですね。勿論、ヲタクがヲタクであるということが前提なので、ライブの事前事後にヲタクが運営さんと目くばせしたり、今日も頼むなみたいなことを言い合っていたら、それはヲタッフというか、半ヲタ関係者なのであって、そういう風になったら意味ないと、私は思うのです。
かける君が登場したり、この時期、ちょっとずつヲタクが増えてきて、応援スタイルが成熟していく過程が楽しかった第2期でした。

当時、戦国時代を戦っていたローカルアイドルは年間に少なくとも50回以上は現場(ライブのことを現場という)をこなしていて、ブログ見てても「今日は練習です」「今日はライブです」「今日は練習です」「今日はライブです」みたいなブログしか書いていません。
桜組のメンバーは、そこまで現場に酷使されてなかった分だけ、自由きままにアメブロツイッターで自分スタイルを表現していたので、アメブロツイッターの楽しかった時期でもあり、札幌ほど活発な現場ではなかったのですが、見ていて楽しいアイドルでした。
この時期に、函館でも新しいアイドルプロジェクトが立ち上がり、第1期からの地元ヲタが、やや函館よりに軸を移し始めた頃、1期ヲタがたまたま参加しなかった高専祭が盛り上がってしまいます。1期ヲタには申し訳ないのですが、第2期の完成形は高専祭だったと思います。僭越ながら、高専祭でアンコールの発声しちゃいました。本当にごめんなさい。


桜組第3期(2012.10〜2014.3)
その後、桜組の運命を決める大事件「代表ヲタ禁止事件」が起こります。
代表ヲタ禁止事件とは、1期ヲタが桜組に対する熱意もだんだん薄らいできて、これから桜組は落ちる一方だなどと予言していたにも関わらず、大宮遠征も決まったり、なかなか勢いが衰えなかったため、「遠征にヲタを連れて行かないでどうするの!」みたいなプレッシャーをかけて、自分たちの立場の回復を図ります。
それに反発した、運営、身内、札幌ヲタ、等々の連合軍が、タイミングを見て何か仕掛けてやろうと、鬱憤をつのらせ、用意周到にやってやる、などとブツブツつぶやいて雰囲気が悪くなりました。
地元ファンに、サイレントヲタを名乗る、どちらかというとアニメ好きの2人組がいて、声を出さないで応援するのが自分たちのスタイルと宣言していたのに、やっぱり声を出して応援したいと思い始め、声を出して応援すると、自分たちのスタイルが崩れてしまって自分がなくなってしまう、などとアイドルに泣き言を言い出しました。私から見て、ほっとけばいいのにっていう、意味不明な病んでる状態です。

ところがこれをチャンスと見た連合軍が、これを機に勝負に出ます。ファン同士の序列をつくって、純粋なファンが自分のしたい応援を、誰かに許可もらわないとできないみたいな風潮は断固としてあってはならない、などと義憤にかられた自分を演じながら、ついに「代表ヲタなどと名乗る人たちがいるが、そういうのは一切認めていません。ついでにいうと、生菓子もらっても運営で処分するのであしからず」などと個人攻撃であることを隠しもしない運営発表をしました。
ところが「代表ヲタがいるところが伸びるんです。代表ヲタは必要です!」みたいな全国の強いヲタのハートを打ち抜くような反撃をくらい、この事件が全国的に盛り上がってしまいます。

かくして、用意周到におこした革命が、全国的にアイドルヲタの反感を買ってしまったことから、せっかく「桜色のエール」とか悪くない楽曲もつくったりしていたのに、運営さんのマインドとしてヲタクに対するアレルギーがますます過剰になってしまいました。
オリジナル曲、カバー曲も大幅にトーンダウンして、眠たくなるような曲ばかりになってしまい、ヲタクが離れていくような雰囲気づくりをします。
そんな中、れいちんが正月の東京のアイドル現場に出かけて行ったり(僕も行ったけど)、なっちゃんがデビューしたり、スバル君が登場したり、芸術の森のアイドルフェスに呼ばれたり、もみみ卒業の7月の夏祭りが盛り上がったりで、戦略戦術の空白を、1人1人のキャラスペックの高さで補い、結構楽しくすごせたシーズンでした。
桜組のメンバーにとってこの時期がどうだったか色々な思いがあると思いますが、スバル君やこなん君が、それなりに楽しかった的な思い出をもって函館から卒業していったので、それが第3期の良かった点ではなかったかなーと。


桜組第4期(2014.4〜2014.12)
とはいえ、第3期の後半は、オフシーズンということもあって、桜組の活動自体はあまり活発ではなくて、そうこうして迎えた次の春からは、急激なネタ不足に陥りました。よくよく見てれば、あっちんが気合いを入れて頑張ったりもしていたのですが、それが全然いかせる環境ではなかったのでした。
あっちんがソロデビューを試みたり、バンドユニット結成したり、れいなが、ずーしーほっきーとコラボしたり、自転車にのってサイクルイベントに出たり、色々なことをはじめるのですが、そういった派生イベントに関してはあまり情報を出さない方針となり。結局、ファンとの一体感を生み出すというより、口うるさいファンがついてこれない別世界への逃避をはじめたというのが正直なところではないかと思われました。
悲劇的なことに、Facebookで「パイセン事件」が起きました。地元で有名なミュージシャンが、あっちん、なっちゃんのPR素材を見て、たまたまそれがZ高校の制服だったので「俺、パイセン、誇りに思う!」などと、最大級の地雷を盛大に踏み抜いたのでした。函館で誰かがデビューしそうになると、今まで全然応援してなかった人たちが、「俺、パイセン」「俺、パイセン」と言って現れるというのを知っていたのですが、まさか有名なあの人までが…。
結局、キモヲタから逃亡した先には、理解のない普通の人の理解のない普通の言動が待っていたという事件でした。
その頃、私は私で、ファンらしい場所に立っている必要がなくなったので、会場で、メンバー家族と一緒にすごして、ここだけの話、イベント会場の公園でメンバーの妹とバドミントンしたりしてましたけど、やっぱり、ひめキュンを尊敬しているので、あれこれ聞き出して仲良くなろうとかはしないで、ちゃんと節度を保って過ごしていました。
この時期、最大の成果は、もえたん、れいなが映画祭とのコラボで活躍した点でしょうか。私も、映画祭関係者と一緒にやっている別プロジェクトで、毎回アイドルアイドル言い続け、ひめキュンがドラマつくったとか、映画つくったとか、そんな話題を投げ続けていたので、そんな努力が実を結んだのかなーって思ってます。
一方、なっちゃんは話題の引き出しが多くて多芸多才なので、ネット配信コンテンツで大人気になってしまい、この年の11月ごろまでは、普通に盛り上がっていました。


桜組第5期(2015.1〜2016.8)
その後、桜組はネット配信と、ネット配信の理由づくりで関東進出を活発にするようになります。ネット配信も途中まではファンも善良だったのですが、だんだん慣れてくると、オレたちのおかげでみたいな態度で、色々とワガママになったり暴言はいたりしていましたが、戦うためには彼らが必要でした。
年あけてからのネット配信は、ひたすらポイントを稼ぐための戦いで、一度ハマったら抜け出せない泥沼の戦いを続けている様子です。しかも、ネットバトルというのは、目に見えない戦いなので、今までのファンが疎外感を感じて離れていっても、新たに得るものが膨大にあるのかどうかという不毛な戦いでした。
私はネット歴が長くて、合コンとかは苦手ですが、ネット上での文字と文字の掛け合いについては、割と読める方なので、キチガイ先輩の意図を察して挨拶したり、着々と外交施策をとっていました。
ネット配信コンテンツに関わっている人達って、匿名サイトでは愚民を演じていますが、実際には高学歴の人が多いようなので、私はツイッターのプロフで「都市工学科環境学修士」みたいに書いていて、14号館出身です的なアピールもこっそり忍ばせていたりしたのですが、それで相手がこちらの存在を理解したらしく、「ちっす!」「先輩ちっす!」みたいになって、ドス黒い工作活動が繰り広げられる中、気が向いたら書き込んで、デレデレしてました。
横アリ選考会の時に、リスナーが大暴言をはいて暴れ出したので、これじゃ失格になっても仕方ないかな、と思われる空気の中で、「僕もうチケット買ってあるんですけどー!」みたいに訴えて、失格にしないでアピールして何とか横アリ出演になりましたが、リスナー達はメインステージでやれると思っていたので、不機嫌になっていました。結局、横アリで見てたら、リスナーさん達の応援の熱量はたいしたことなくて、それを僕に見られたのは、運営さんにとって嫌だったかも知れません。ごめんなさい。
でも、自分の地元でもないのに、14〜15人くらいきてくれてたのは、アイドルというジャンルから離れて見れるようになったら、それは感謝すべきことだと思います。でも、アイドルを応援する立場からすると、地元ファンを切り捨てて遠征を繰り返して、前に行って応援しない14〜15人のヲタがついたというのは、たいしたことないねって言ったりもしたいです。
桜組の活動にとって、最後、横浜アリーナにまで行けたのは1つの良い思い出になったんじゃないかなって思うし、私自身にとっても、ご当地アイドルを追いかけて、色々見れたことの集大成が横浜アリーナで見れたなって思っています。
応援していたアイドルが違っていれば、横アリじゃなくて、TIFとかだったかも知れませんがおいといて。


■その後
その後、桜組は最初の予定通り、翌年の3月に新幹線開業と関連イベントに出演してから卒業となりました。4月以降、函館や北斗では新幹線関連イベントが続いていますが、大手広告代理店の仕切りでやっていると思われ、可もなく不可もなく、美味しいものは食べられますが、応援したい女の子がいて、行けば集まるファンもいてっていう雰囲気が懐かしいですね。
サブカルは、コスプレイヤー中心に、アイドルカフェもあったりで、着実に盛り上がりを見せていますが、一方で、キモヲタとの決別、を目指している雰囲気でもあり、いつもじゃないんですが、時々こわくて近寄れない雰囲気です。
ちゃんとオシャレして、パーティを楽しんで、男女間のイザコザもあったりして、みたいな方向でしょうか。
桜組が活躍していた頃は、アメブロツイッターも面白かったのですが、今はSNSのつまらなさ、の方が目立つようになってきて、多分、しばらく何もなくて、そのうち次のスタイルがはじまると思うのです。
それがどんなスタイルなのかはわかりませんが、若い人の方が新しい文化を何倍も楽しめる、とか、地方より都会の方が圧倒的に有利、とか、じゃなくて、工夫次第かも知れないし、あるいは、どういう横のつながり、同盟を結べるかによって強い弱いが出てくるような気もします。
アフィリアを卒業したあやみさんが、こじらせブログを書いていますが、桜組を卒業したメンバーが、自分たちの経験をこじらせることなく、次のテーマに立ち向かっていってほしいなって思っています。