今の時代、作者と読者の距離は近い。同じ時代に生きていて、お互い言葉を交わしあわずとも、ふと心が重なるところがある。それはとても素敵なことだと思う。

米澤穂信の小市民シリーズは、今や私にとって、旧き良き仲間達のようだ。才気に満ちあふれていて、いつも尊敬せずにはいられない。1年ぶりに出会った時に、彼らが成長していて、自分が立ち止まっていたとすれば、それはとてもいたたまれない思いがする。彼らがいるから自分も頑張れる、といったような関係が知らず知らずにできていく。一方通行の関係かも知れなくても……。

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『木良市役所からのお知らせです。六十歳以上の方は敬老パスをご利用ください。平日昼間の市内バス料金が無料、その他の時間帯は半額になります。お降りの際、乗務員にご呈示ください。バスの利用は、地球温暖化対策にもなります。乗って残そう、バス路線。木良市役所からのお知らせでした。』
民営のバスなのに市役所が補助してるのか。でもこの繁盛で残せない路線なら、たぶん何をしても駄目だと思う。

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このあたりの記述を読んだとき、あらためて、平易な文章を書くということがどれほど難しいことか、というのを実感する。

私が今住んでいる街でも、勿論、まちづくりに関心のある人達はいっぱいいるし、ブログを書いている人もいるが、こういう文章を書ける人はいない。平易な文章ではあるが、足を運び、観察しなければ書けない。そしてあくまで観察したことに忠実。見識も屈折していないし、何かの観念を押しつけるでもないし、何らかの毒が仕込まれているわけでもない。

小説の魅力としていうなら、歪曲した文章を書いた方が確実にファンは増える。それでも米澤穂信は、こういう平易な記述を淡々と重ねていく。何かそこに描かれる「小宇宙」に対する、深い、確固たる信頼を感じる。

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……黙ってしまったおれに、氷谷はひらひらと手を振った。
「まあ、応援はしてるよ。いつだって、応援はしてるさ」
いつだっての後に、誰をだって、がつきそうな言い方だった。
本当を言えば、おれは氷谷には応援などしてほしくない。味方になってほしいのだ。しかしそれを口にするのはさすがに自尊心が許さないので、おれは自分の教室からも、憤然として出て行くしかない。

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なるほど、こういう表現がありうるのか、と思う。
強固に平易な記述。それでいてあと一言何かが付け加わると、たちまちその美しさが壊れてしまいそうな絶妙なバランス。

私もこのままの進行だと、だんだん歪曲していくのが予想される。せっかく実際上の地方都市に住んでいるのに、空想上の地方都市に負けたくはない。あ〜、でも米澤穂信氏の描く地方都市はどう見ても、本物に裏打ちされているっぽいし、歪曲もない。もう、白旗あげよう……。空想上の木良市に出かけていって、<アールグレイ2>でティラミス食べたり、<タリオ>でクレームブリュレを食べたりしよう。川向こうの隣町の<パノラマ・アイランド>によって骨抜きにされた中心市街地を闊歩しながら、不審火の噂を聞きながら、それでも歪曲せずに生きよう。それがいいそれがいい。

すずめ「てなわけで、白旗あげてもいいですか?」
心の中の声「駄目!」
すずめ「は、はい……」
心の中の声「米澤穂信がうらやむような経験をするの!」
すずめ「あるかな……」

『秋期限定 栗きんとん事件 上』
米澤穂信創元推理文庫,ISBN978-4-488-45105-9)